STORY 恵南地方にまつわる50の物語

上矢作町 お月見どろぼう

「お月見どろぼうでーす」かわいい月の使いがやってくる

中秋の名月に行われる伝統行事

かつて・・・中秋の名月(十五夜)のお月見の日だけは、
他人の畑の芋を勝手に取って食べてもいいという風習があった。
今と比べると、食べ物が少なかった時代、困っている人や弱い者を助ける意味が込められていたのかもしれない。
現代人が忘れかけている、月を敬う心、地域で子供たちを見守ることを思い出す、大切な風習だ。

大らかな風習

上矢作町では、「お月見どろぼう」といわれる伝統行事がある。基本、中秋の名月(十五夜)の日だが、十五夜は旧暦の8月15日なので、毎年日にちが変わる。
中秋の名月(十五夜)に、縁側など月のよく見える所に、薩摩芋、里芋、豆、丸い団子などに、ススキを添えて供えた。
現在でも、お月見には月見団子を供え満月を愛でるが、上矢作の風習である「お月見どろぼう」はユーモアがあり楽しい風習だ。

どろぼうとは、誰のこと?何を盗みにくるのだろうか?
その真相は・・・縁側に供えてある薩摩芋や団子などを、近所の子供たちが袋を持って、こっそり盗みに来るのだ。子供がお供え物を盗むことは、「月見泥棒」といって、この日ばかりは罪にならない。しかもお供えにお菓子も添えてあるので、子供たちの楽しみでもあった。
一方、お供えをしていない家には、子供たちが悪さ(いたずら)をして行くこともあったそうだ。更に、「月見の晩は何を盗んでもええ」と言って、なんと、畑のスイカや庭の柿の実をとっていくこともあった。

何とも大らかな風習だ。現代のように娯楽が多くなかった時代、そんないたずらを、楽しむ心の余裕が人々にあったのだろう。
時代の移り変わりと共に、「盗む」という行為はよくないとされ、今のような「お菓子をもらう」というスタイルに変わっていった。
今のように電気がなかった昔の人にとって、闇夜のお月見は神秘的であったに違いない。
月夜の中、子供たちが工夫を凝らしてうれしそうに走り回る光景を想像すると、思わず笑みがこぼれる。

月のサイクルと共に生きる

お月見どろぼうはもともと、農作物の実りに感謝する収穫儀礼として行われてきた。日本は江戸時代までは、月の満ち欠けを基準にした太陰暦を生活の基準にしていたそうだ。そのため、農業においても植物の成長サイクルを月齢で管理していた。
例えば、大根は月の明るい晩(満月)に収穫すると中にスが入るから、闇夜(新月)に収穫するとよい。とか、穀物や果物は新月と満月の間に種を蒔く。根菜類は満月から新月の間に種を蒔く。など、江戸時代の農書には記載が残っている。

上矢作町の人達も、昔から月の満ち欠けが、農作物の出来に関係していることを、長年の経験から知っていたのだろう。そのため、月は大切な農作業の種蒔きや収穫時期を教えてくれる神のような存在であった。
そして、子供は月の使者と考えられていたので、お供え物を盗まれても「神様がお食べになった」「お月さまが持っていかれた」ということで、縁起がよく、盗まれた畑は豊作になるといわれていた。
その風習が、上矢作に今もなお引き継がれている。

日本版ハロウィン?

伝統行事お月見どろぼうが行われているのは、上矢作町だけなのだろうか?実は、昔は日本各地の農村部で行われていたらしい。
現在でも、福島県、茨城県、千葉県、山梨県、愛知県、奈良県、大阪府、大分県、鹿児島県、沖縄県などの農村部で行われているそうだ。
中でも、愛知県日進市、愛知県名古屋市、三重県四日市市では、お月見どろぼうの風習が根強く残っており、大人から子供まで参加できる楽しい行事として受け継がれている。
子供が喜びそうな駄菓子や飴などを、ダンボールやカゴなどに入れて、家の玄関や軒先などにセットしてある。そこには「お月見どろぼうさん、おひとつどうぞ」とメッセージが添えられて迎え入れる。
現在では、子供たちが「お月見ください!」「お月見どろぼうでーす!」など声をかけて各家を周り、お団子やお菓子をもらう楽しいイベントに変わってきた。
まるで、日本版ハロウィンのようだ。

お月さまを、神様として敬い、その使いの子供たちに農作物をお供えする伝統行事「お月見どろぼう」。時を経て、その形は大きく様変わりしたが、月を敬い子供たちを大切にする気持ちは、今も受け継がれている。

INFORMATION

名称
お月見どろぼう
場所
上矢作町一帯
お問合せ先
0573-47-2111(上矢作振興所内 恵那市観光協会 上矢作支部)

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