STORY 恵南地方にまつわる50の物語

上矢作町 横道獅子舞

魅力あふれる伝統芸能・獅子舞の世界へようこそ

横道獅子舞を若い世代に引き継ぎ発展させていく

役者でもない町民が、その日素晴らしい獅子舞演者になる。
観客も一体となった公演は、素朴な味わいがあり魅惑の獅子舞の世界に引き込まれる。
伝統はこれからの時代に、重要な役割を果たしていくだろう。

横道獅子舞の由来

この地域に伝わる「獅子芝居」は、地元の祭りで奉納され、土地の人々の娯楽の一つとして伝えられてきた。主役の演者が獅子頭をかぶり、歌舞伎の演目の一場面を上演するとてもユニークで素朴な伝承芸能だ。
恵南地域には、上矢作町の横道獅子舞保存会の他、山岡町の白山比咩(しらやまひめ)神社獅子舞保存会、岩村町獅子舞保存会などそれぞれの町で継承されており、後継者の育成や獅子芝居の伝承、振興を目的に活動している。

平成29年11月には、上矢作コミュニティセンターで、第17回岐阜県獅子芝居公演が開催され、多くの観客で賑わった。
横道獅子舞以外では、恵那市山岡町、岩村町、中津川市加子母、羽島郡岐南町、下呂市小坂町が参加し、秋の紅葉の深まる中獅子芝居に酔いしれた。
横道獅子舞の由来は、昭和10年恵那郡上村(恵那市上矢作町)横道の万光寺の大般若会の時、龍田賢明住職が出身の恵那郡下手向(山岡町)の獅子舞連を招き、獅子芝居公演を行った。それを機に、地域の人達が横道獅子舞の会を発足させ、稽古して自ら上演するようになったのが始まりだ。太平洋戦争中の昭和17~20年は中止していたが、戦後の昭和22年に復活した。その後保存会が設立され現在まで、地元や各地で公演をしている。
昭和52年に上矢作町の無形民俗文化財に指定され、平成16年の恵那市合併により、恵那市の指定無形文化財となった。

若い世代に受け継がれる獅子舞

獅子芝居を観る楽しさは、色とりどりの和の衣装もさることながら、歌舞伎の一場面のユーモラスな仕草や迫力を間近で感じられることだ。そして、演じているのが町民で、観ているのも町民が多いため、皆が一体となって盛り上がる。何とも素朴で温かみのある伝統芸能だ。
山岡町の下手向から伝授された演題は、幕捌き、鈴の舞、いざり勝五郎、八百屋お七おそめ久松、葛の葉姫子別れ、妹背山、おかめの舞、関取千両幟、鏡山お初、忠臣蔵七段目、傾城阿波の鳴門等である。
平成19年11月18日の第七回岐阜県獅子芝居公演(三郷町宮盛座)では、忠臣蔵七段目(一力茶屋の場)を上演、しみじみと情感と哀愁をただよわせ、観客を酔わせた。
演じるものは、歌舞伎の一部で、一番の泣かせ所、山場を切り取ってみせている。
色鮮やかな衣装は、専門店で借りる物もあるが主役の嫁獅子などは自前であり、獅子の笛や太鼓なども自前で継承している。着付けや化粧も保存会員が分担してこなし、実に手際が良い。

稽古場は、横道公民館で行い、保存会員の古老が指導者となって稽古をつけている。演目は、基本の踊りと言われる悪魔祓いや忠臣蔵七段目、おかめの舞、関取千両幟が十八番でよく演じるが、伝承のためには、ほかの演目も演じていきたいそうだ。
平成13年に、岐阜県獅子芝居協議会が発足し、公演会をするようになったことは良い刺激になり、20~30歳の若い世代に引き継いでいきたいと願っている。

獅子が頭を噛むのはなぜ?

お正月やお祭りに色々な所で目にする獅子舞だが、その意味や由来については知らない人が多いのではないだろうか。
獅子舞は、周りにいる人達の頭を噛んでいく。怖くて泣き出してしまう子供達が続出するが、なぜ頭を噛むのだろうか? 
獅子舞は、インドから中国へ、中国から日本へ伝わったといわれている。悪魔祓い、飢饉や疫病を追い払う意味が込められている。
獅子舞の獅子とはライオンのことで、インドの遊牧民族が力の強いライオンを霊獣・神として崇めるようになった。そして、ライオンを模した舞を踊るようになり、それが獅子舞の原型になったといわれている。
日本では、16世紀の初め、室町時代(1338年~1573年頃)に伊勢の国(現在の三重県)で、飢饉や疫病を追い払うため、お正月に獅子舞を舞ったのが始まりといわれている。
なぜ、頭を噛むのか?それは、獅子舞が人の頭を噛むことによって、その人についた邪気を食べてくれる、ご利益があると考えられているからだ。語呂合わせで「獅子が嚙みつくと神が付く」という縁起かつぎの意味もあるそうだ。

そんな歴史深い上矢作町の横道獅子舞は、地域の大切な伝統芸能である。

INFORMATION

名称
獅子芝居(横道)
場所
岐阜県恵那市 上矢作町
お問い合わせ先
0573-26-2111(恵那市教育委員会)

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