八王子神社の由来
現在の社殿は、延宝4年(1676年)に再建され、平成24年に修繕修理されており、県の文化財に指定されている。
周辺地域の、中心的な神社として信仰を広げ、最盛期には2千石の社領を擁していたそうだ。特に、領主「遠山家」の氏神として祭っていた。武田勝頼の侵攻で明知城が陥落した時、八王子神社も兵火により焼失したが、その後江戸時代に遠山利景が再興させている。
境内の中央に延びる参道には、立派な鳥居があり、その横に八王子神社の碑が建てられている。社殿の由来によれば、「八王子」とは天照大神の8人の王子(王子5人、王女3人)のことだそうだ。恵那山周辺地域では、この山に天照大神が産まれた時の胞衣(えな)を納めたという伝説が残っており、厚い信仰の対象となっている。
参道の階段を上がると、唐門が出迎えてくれる。一説によると、明知城に使われていた大手門を移設したものだとか。
明智町は、明智光秀のゆかりの地としても有名で、多くの史跡が残されている。境内にある「柿本人麻呂神社」は、明智光秀が建立したといわれ、また、横の楓は光秀が手植えしたものだと伝えられている。清々しい緑の葉を見ながら、なぜ光秀がここに楓を植えたのか?ロマンを感じるひと時だ。