STORY 恵南地方にまつわる50の物語

上矢作町 自生する福寿草

まるで黄金色のじゅうたん!

約10万株の福寿草が咲き乱れる

長く厳しい冬の寒さを越えて、待ちわびた春の訪れを告げる福寿草は、地域の人々に明るい希望を届けてくれる。
その可憐で黄金色に輝く福寿草に、訪れる人々は癒され幸福をもらって帰っていく。
まさに、健康と長寿をもたらす福寿の里だ。

大平地区の自生地

矢作川の支流上川村に沿って、上矢作町の中心部から5キロ程さかのぼった谷間に、達原・大平地区という集落がある。この集落の裏山は、桧と杉の林になっているが、福寿草の自生地でもある。
この裏山に続く小道のほとりから、田畑の斜面にかけて約40アールにわたり、約10万株の福寿草が、足の踏み場もないほど咲き乱れる。特に柿、梅などの落葉樹の下にはよく群生し見応えがある。

雪解けと共に姿を現す福寿草は、毎年3月中旬から4月上旬にかけて開花し、4月上旬が見頃となる。
最初は中央頂上に大きな花が咲き、順次下枝へと小さな花が咲いて移っていく。その可憐な姿と、美しい黄金色に魅了され、開花時期にはたくさんの観光客が訪れる。
この時期は、福寿草の自生地付近の住民の人達の協力のもと、一般に開放され心ゆくまで観賞することができる。

それにしても、福寿草を守るため、この広い面積を管理していくのは大変なことだろう。福寿草は、種子から花を咲かせるのに7年かかるといわれ、繫殖・維持管理がとても難しい植物だ。そのため、地域住民を中心とした「福寿草を守る会」が結成された。福寿草保護のため、わずかな環境保護協力費を呼びかけている。その成果もあり、現在も維持が受け継がれている。

どんな花?

この福寿草の自生地は、今から300年程前に大平地区の先祖が、赤石山系より持ち帰り、移植したものといわれている。また一説によると、元亀元年(1570年)、『元亀3年の説あり』この地で起こった上村合戦(武田信玄の美濃攻略)のおり、武田勢が福寿草を持ち込み、それが自生したという説もある。

福寿草とは、どんな花なのだろうか?キンポウゲ科の多年草で、別名ガンジツソウ(元旦草)とも呼ばれている。日本では、北海道から九州にかけて広く分布し、山林で生育する。花は、花弁を使って日光を花の中心に集め、その熱で虫を誘引している。そのため、太陽光に応じて開閉(日光が当たると開き、日が陰ると閉じる)する。初春に花を咲かせ、夏になると地上部が枯れるが、土の中で根が生きているため、また春が来ると花が咲くのだ。

福寿草の花言葉

旧暦の正月(現在の2月)から、黄金色の花を咲かせ始める福寿草は、おめでたい福を呼ぶ花として、日本では昔から縁起の良いものとされてきた。
福寿草の花言葉はご存知だろうか?『幸福』、『祝福』、『幸せを招く』など、福を由来とするもが多い。
更に、花の咲く時期がとても長いので、長寿を象徴する花ともいわれている。「寿」は一般的に“ことほぐ”つまり、“お祝いする”という意味で使われているが、元々の漢字「壽」は長生きを意味する字だった。
福寿草は、“幸福”と“長寿”の花。良いこと尽くめの花なのだ。

昔は、畑や田に群生する雑草のようにしか見られなかった里山の植物。しかし、近年山野草ブームなどもあり、その良さや貴重さが見直されるようになった。
大平地区の福寿草も、恵那市の天然記念物に指定され、大切に保護されている。福寿草だけでなく、雪を割って咲くといわれるイチゲソウ(雪割り一華)、節分草、カタクリなど春を伝える可憐な花たちが数多く残っている。
 
上矢作町のマスコットキャラクター、福寿草をモチーフにした「ふくちゃん」も人気者だ。ふくちゃんは、福寿草の妖精で、人々に健康・長寿と幸福をもたらすといわれている。
心を癒してくれる里山を、観光で訪れる人々と共に、これからも守っていくことだろう。

INFORMATION

名称
福寿草
場所
岐阜県恵那市 上矢作町達原地区
お問合せ先
0573-47-2111(上矢作振興事務所振興課)

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