STORY 恵南地方にまつわる50の物語

山岡町 石仏群

静かに佇む野仏が“よく来たね”と微笑みかける

山岡町に点在する地域にとけこんだ石仏群

道行く人々をやさしい眼差しで見守る野仏は、地域の幸せを願う町民の思いが込められている。
雨風にさらされ、数百年もの長い歳月を共に過ごしてきた石仏は、家族のように寄り添った親しみが漂う。
そんな石仏の魅力に惹かれる人が増えているのは、なぜだろうか?

石仏の里

山岡町には、多くの石仏群が点在し、古くから信仰の対象として大切にされている。市の指定史跡に選ばれている石仏も多い。
近年では、明知鉄道から途中下車して、石仏めぐりを楽しむ人も増えている。石仏の魅力といえば、風化し苔が付いた石や、それぞれの持ち味がある表情だ。

山岡町内の、各地区に点在している石仏をたどってみよう。
田沢にある「姥石(うばいし)の石仏群」は、東海自然歩道の指標に沿って進んでいくと、大きな石造物が見えてくる。かつては賑やかな街道筋であったが、今は里の片隅の静寂な場所となり、時代の流れを感じさせる。
石碑は、いずれも大人の背丈を越すものばかりで、圧倒的な存在感だ。「姥石の六地蔵重制石幢」は、安永2年(1744)に建立され、高さ230㎝である。

久保原には、古野川から福平辻までに十体造られた。「福平(ふくたいら)石仏群」があり規模は小さいが、念仏供養塔など存在感のある石仏が多い。周りの景色にすっかり溶け込んでいる。
馬場山田には、和田薬師堂の石仏群がある。そこに、地元の方がとても気に入っている石仏があるということで、案内して頂いた。その石仏には、とてもふっくらとした穏やかな表情の観音菩薩像が彫られている。まるで石板から飛び出して来そうな程立体的だ。
馬場山田には寺尾の三十三観音があり、ここは山岡の原の石仏群と共に規模の大きいところだ。下手向中島薬師堂にかくれキリシタンが観音様の奥にマリア様を入れたと伝わるかくし観音がある。

地区に点在する石仏

上手向には、昔は茅葺屋根だった黒羽根のお堂が、ひっそりと佇んでいる。弘法様の縁日には、おばあちゃん達が集まるそうだ。その近くに「黒羽根の石仏群」が、17基、ずらりと横一列に並んでいる。方々に散らばっていた石仏を、ここに移築したものだ。一石三十三観音、地蔵菩薩など様々な石仏を見ることができる。春には石仏の上方に、桜の花が咲き、石仏と桜の競演もまた素晴らしい。

釜屋区には、17年に一度ご開帳される「折立十一面観音菩薩」が鎮座している。寛文年間中期(1660年頃)の建立とされる折立十一面観音菩薩は、馬に乗って前を通ろうとしても、馬が立ち止まって動かないほどの力があり、馬から「降り立って」手綱を取ったことが名前の由来とされている。
その折立観音堂に、「折立(おりたち)の石仏群」がある。存在感のある「月待塔」が目に入る。月の出を祭る信仰で、江戸時代に盛んとなった。十八夜・二十二夜・二十三夜・二十六夜などがあり、こちらには二十二夜と彫られている。

原地区の円通寺に建立されている「円通寺の石仏群」は、すごいインパクトだ。一番上に、月の形をした空間がある月待塔があり、そこから放射状に数え切れない(百二十一体)程の石仏が並んでいるのだ。観音菩薩や地蔵菩薩など、時間を忘れ見入ってしまう。
石仏群の横には鐘つき堂があり、何とも趣きのある光景となっている。

田代区の「観音堂の石仏群」は、農村の小さなお堂の前にある、地元の人に愛される場所である。地蔵菩薩には、赤い毛糸で編まれた帽子と襟掛け、右手には季節の野花が添えられている。一段上には行者が祭られている。

石仏にかけた思い

山岡町に点在する石仏には、様々なものがあり、それぞれに意味がある。
大日如来や阿弥陀如来が彫られたもの。願をかけると願いが叶うといわれ、願かけに訪れる人も多い。
観世音菩薩では、三十三所観音が多く見受けられる。そして、馬頭観音もよく知られている。昔馬が交通に多く使われ、農耕用・運搬用に盛んに用いられた江戸中期以降に造立されたものが多い。
地蔵信仰が盛んだった頃造られた、地蔵菩薩。念仏供養塔、庚申信仰が盛んだった頃造立された庚申塔。そして、弘法大師や不動明王、役行者など山岳信仰の石仏も見かける。

この他にも、まだまだたくさんの種類の石仏があり、昔の人が石仏にかけるエネルギーの強さに驚嘆する。
夜、外灯もない山道を歩く時、昼間でも山賊に襲われるかもしれない危険な旅をする時。道行く人々を守るように石仏が建っている。
地域の人々にそっと寄り添う石仏は、これからも恵南地域を見守り続けるだろう。

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