再現された貴重な窯
山岡町の南西部一帯、特に原地区を中心とした地域は良質な耐火粘土(蛙目粘土)に富み、江戸時代からその発掘が行われてきた。
かつて町内には原地区を中心に、薪を使って磁器を焼く登り窯がたくさんあったのだが、戦後になると石炭窯に代わり当時の様子を知る人も少なくなってきた。
そこで当時の山岡の窯業を支えてきた登り窯を再現しようと、地域が一体となって築いたのだ。
登り窯は地元の材料を使用することにこだわり、窯を構築するレンガも市販の耐火レンガではなく、以前山岡町の窯に使用されていたクレーブロック(粘土のかたまり)を使用する事にした。地元で採掘した良質な陶土は、収縮率が少なく断熱性に優れていることから最適だった。その為まずはクレーブロックを作ることから始められた。
一つ一つ手作業で積み上げる地道な作業だが、有志の熱意と努力により窯の再現を達成したそうだ。
そして、初窯は「まず窯を焼くことから」が大切で毎日雑木を燃やし窯が乾燥するまでその作業は続けられる。
いよいよ初窯焼成を迎え、陶芸教室の生徒さんの作品や町内の子供達、高齢者の方々の茶碗など2084点もの作品が窯の中に詰められた。
火入れ式を行い、「5昼夜」焼成が行われる。天候、気温、風向きという自然を相手に交代で薪をくべ、徐々に窯内の温度を上げていく匠の技に脱帽だ。
登り窯の仕組みは三連房であり、手前に胴木の間がありここに入れた薪が一の間を燃やし、その熱が二の間へ、そして三の間へと続く。低い方から高い方へ移動していくのだ。
窯の奥行は7.0m、幅は2.5m~3.1mあり、どんな仕組みになっているのか奥はどうなっているのか興味をそそられる。