STORY 恵南地方にまつわる50の物語

山岡町 山岡歌舞伎

いよっ!人情味あふれるぬくもりの地歌舞伎

復活した地芝居を今に受け継ぐ

その熱意あふれる芝居に、思わず魅了される。
見得を決めた瞬間、湧きあがる拍手と共におひねりの花が舞台を舞う。
演者と観客がひとつとなり盛り上がる地歌舞伎に、私たちは懐かしさと新鮮さを感じ、また観たいと思うのだ。

日本三大地歌舞伎とは?

日本各地で行われている地歌舞伎。その中でも特に三つの地域は、日本三大地歌舞伎と言われる程盛んである。
一つ目は相模地方の歌舞伎、二つ目は美濃地方の歌舞伎、三つ目は播州歌舞伎(今の兵庫県)の三地方を指しており、近年、地歌舞伎復活の動きが大きくなっているそうだ。岐阜県内では東濃地方が最も多く、恵那市山岡町の地歌舞伎も大変熱が入っている。

美濃地方の地歌舞伎の芸風は、大変興味深い。江戸時代に、役者衆が京都と江戸を結ぶ中山道を行き来していた。その影響を受けて、大阪歌舞伎の芸風が入り交じり、江戸にも上方にもない面白い「型」の芸風が残されている。そして、演じる役者衆は地元の人達であり、工夫を重ねて観客に喜んでもらえるように、人情味あふれる舞台になっている。

復活を遂げた山岡歌舞伎

昭和30年。戦後の混乱期をくぐり抜けて、復興もひと段落し、世の中はようやく落ち着きを取り戻してきた。都会では、洋風の生活様式の影響を受け始め、活気に満ちた時代であった。
しかし、地方ではまだまだ自然は豊かで、人々の暮らしはのんびりと平和で、時間がたっぷりとあった。山岡町も、そんな時代背景の中、歌舞伎の芝居共興は、夜が白む頃まで続けられるほど盛況だったと伝えられている。
その頃、特産である寒天づくりのために、多くの人達が山岡町に出稼ぎに来ていた。その人々にとっても、こうした芝居は大きな楽しみであったといわれている。]

時代は移り変わり、昭和40年代にかけて一時下火になったが、山岡町在住であった振付師の松本団升氏が、踊りを主体とする松扇会を組織した。そして、これを母体として徐々に芝居を復活させていったそうだ。
平成7年には、保存会を結成し、伝統を繋げている。以来、農村環境改善センターで、年1回の定期公演を行い、年により大会への参加や公演もつとめることがある。

山岡歌舞伎の見どころは、何と言っても「こども歌舞伎」だろう。小中学生による熱演がすばらしい。小学生が演じる「浮世柄比翼稲妻仲ノ町鞘当の場」や、中学生が演じる「絵本太功記十段目」など、堂々としたせりふ回しや踊りの仕草に、客席からはたくさんの拍手と共に、おひねりが投げられる。おひねりとは、紙に小銭を包んで、見得を決めた瞬間に客席から投げられるもので、地歌舞伎ではよくある風景だ。
山岡歌舞伎では、所狭しとたくさんのおひねりが投げられるのが名物で、その光景はまるで舞台に白い花が咲いたように見える。
役者は、保存会の会員が中心につとめるが、地区外からも広く募集して層の厚みを増している。

幅広い演技

舞台の練習は、仕事や学校が終わった後や休日を利用して、約2ヵ月にわたり行われる。
演目は、地芝居振付師の松本団女氏が役者の顔ぶれを見て決定するそうだ。それぞれの力量に応じた適格な指導により、ベテランの役者から新人まで幅の広い演技が披露される。
プロの役者とは違い、新人の初々しい芝居や、子供らしい素朴な芝居、ベテランの迫力のある芝居など、それぞれが一生懸命演じる、素人ならではのすばらしさが観客の心をつかんでいるのだ。

山岡町は、江戸時代から芝居が盛んな地域であった。
一時は消えかけた地歌舞伎が、また息を吹き返し、市の無形民俗文化財にも指定されるまでになった。ここに至るまでには、先人たちの努力や創意工夫があっただろう。しかし、それを楽しむ陽気さや素朴さが、ここ山岡の人達の人柄にあふれ出ている。
これからも、この人情味あふれる地歌舞伎を、子どもたちと共に受け継いでほしいと願うばかりだ。

INFORMATION

名称
山岡歌舞伎
場所
岐阜県恵那市 山岡町上手向 1207-1
お問合せ先
0573-56-2111(山岡振興事務所内 恵那市観光協会 山岡支部)

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