石仏は心の支え
確認された石造物や神仏、それに付随したものを含めると、850体にもなる。
串原の人々にとって、石仏はどんな存在だったのだろうか。
矢作ダム建設によって、脚光を浴びた串原。村落は、矢作川上流の谷あいに沿った「川通り」筋と、高原状の山地一帯の「根側」筋に分布している。
川と共に生きてきた人々と、山と共に生きてきた人々と、同じ串原だが環境に違いがあるのだ。特に山と共に生きてきた人々は、厳しい環境の中、山仕事や農作業を生業として、生活の中で多くの苦難があった。そのため、神仏や野の仏としての石仏を心の支えにしてきたといわれている。
造立数が多いのは、串原の生活の中に、現代では考えられない多くの苦難があったからではないだろうか。
串原で最も古いものは、室町時代に造立されたと思われる、五輪塔・宝篋印塔である。造立が盛んであった時期は、江戸時代後半で江戸初期の造立は少ない。造立されたもので最も多いのは馬頭観音で、約3割を占めている。江戸時代の道路事情や馬の飼育が盛んだったことから当然のことだろう。