STORY 恵南地方にまつわる50の物語

岩村町 下田歌子

明治の女傑!偉人の生き様に迫る

日本の女子教育の先駆者

幕末維新の時代のうねりの中で、持ち前の独特の感性と行動力で、果敢に挑んでいったひとりの女性がいた。
自然豊かな歴史情緒あふれる美濃国岩村が、そのパワーを育んだのかもしれない。
今という時代だからこそ、このビッグな女性にスポットライトが当たり始めている。

神童と呼ばれた幼少期

岩村町の偉人の一人として知られている、下田歌子。
明治から昭和に活躍した教育家であり歌人。日本の女子教育の先駆者であり、実践女子大学(東京都)の創始者でもある。
岩村町が生誕の地であり、生誕地には立派な顕彰碑が建てられている。そして、岩村城址の麓の武家屋敷だった場所には、歌子が勉学に励んだ場所といわれる「下田歌子勉学所」が、静かに佇んでいる。ここは歌子が幼少期、父の書斎で、父と祖父の蔵書を読み、独学で和漢字を学んだ部屋が復元されている。
勉学所には、「下田歌子女史像」が建てられ、歌子の面影を偲ぶことができる。

生涯を女子教育の振興にささげた下田歌子とは、どんな女性だったのだろうか。
安政元年(1854)美濃国岩村(現在の岐阜県恵那市)の岩村藩士の家に長女として歌子は生まれた。幼名は、平尾銘(せき)。平尾家は、代々漢学者の家系で、祖父・東条琴台は多数の著述がある儒学者、父・じゅう蔵も藩校『知新館』の教授をしたことがあった。
時代は幕末、明治維新の6年程前で、世の中が大きく変わり始めた頃だ。父・じゅう蔵は尊王論を説いたため謹慎処分を命じられ、一家の暮らしは非常に貧しいものだった。
苦難の中、銘は5歳で俳句や和歌を詠み、7~8歳にして見事な韻を踏んだ漢詩を作り、「神童」と呼ばれていた。しかし女であるため、すぐ近くにある『知新館』で学ぶことは許されなかった。そのため、家庭においては祖母・貞から読み書きの手ほどきを受け、祖父と父の蔵書を読みあさった。独学で修めた和漢字は『知新館』の教授も驚嘆する程だったといわれている。
書物を読んで善いことだと思うと、すぐに行動にうつすことも多かった。「二十四考」という親孝行を書いた書籍に、両親が蚊に刺されるのを防ぐため、自分が裸になって蚊を引き寄せたという内容があり、なんと!銘は実際にやってみせた。家族を思う優しさと行動は、後の銘の人生を彷彿とさせる逸話だ。

上京と留学

やがて、元号が明治になり、祖父と父は新政府に職を得て東京に向かった。そして17歳になった銘も、その後を追って家族より一足早く上京した。東京へ向かう途中の、国境の三国山で、故郷の山々を見つめながら詠んだ歌がある。

「綾錦きてかえらずば三国山 またふたたびは越えじとぞ思ふ」

明治5年(1872)、銘は女官に抜擢され宮中に出仕する。武家の子として身につけた礼儀作法、儒学者の祖父仕込みの学識、和歌の才能で、皇后・美子から寵愛され「歌子」の名を賜り、宮廷で和歌を教えるようになる。
明治12年(1879)、歌子は退官して剣客の下田猛雄と結婚し、名が下田歌子となった。しかし、5年後に夫が死去したため再び宮内省に出仕し、華蔟女学校の創立に参画し教授となった。
明治26年(1893)歌子39歳の時、女子教育の視察のため欧米に留学した。ロンドンでは、ヴィクトリア女王の孫娘が受けている教育と母親たちの生活に触れ、大きな影響を受けた。
歌子はこの留学で、中流以下の女子教育の必要性を痛感し、すでに、帰国の船上で民間の女学校をつくることを決心していたといわれている。

開校に向けて

帰国後、歌子は女性の精神的自立と女学校設立にむけて、行動を開始した。「帝国婦人協会」を組織し、婦人団体を大衆化することを目的として、組織を全国に広げていった。会長に就任した歌子は、「ゆりかごを動かす手が、世界を動かす。そのために、教養を身につけ女性に地位を高めなければならない。」と全国を駆けめぐり講演会を開いた。
そして明治32年(1899)に、実践女学校及び女子工芸学校を創設し、その校長に就任した。
実践女学校の人気は高く、運動会ではイギリスの体操も取り入れて、新しい女性の時代が始めるのを予感させた。
その後、時代は激しく移り変わり、伊藤博文がハルビンで暗殺され、明治天皇の崩御で年号が大正に変わった。そして・・・第1次世界大戦が勃発。大正12年(1923)に関東大震災が起こった。この時愛国婦人会と実践女学校を中心として被災者救援活動を行ったそうだ。
昭和10年(1935)、故郷の岩村町に業績を称える「顕彰碑」が竣工書類され、故郷に錦を飾った。その後も女子教育に全ての時間を注ぎ、数々の功績を残し、昭和11年(1936)83歳で死去した。

明治、大正を生きた稀にみる女傑、下田歌子。その時代を先読みする感性と、大胆な行動力を育んだ岩村町。緑豊かな乗政寺(大名墓地)に、歌子は夫君と共に眠られている。
下田歌子は、恵南地域の貴重な偉人のひとりである。

INFORMATION

名称
下田歌子勉学所
場所
岐阜県恵那市 岩村町88番地
お問合せ先
0573-43-3231(恵那市観光協会岩村支部)

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