有形遺産
いまだその生涯の多くが解明されていない戦国時代の武将・明智光秀については、岐阜県東濃地方にも「ゆかりの地」と伝わる場所がいくつかあり、彼の時代に思いを馳せながら訪ね歩くことができる。
明智町も「ゆかりの地」の1つで、宝治元年(1247)、明知城が築城されたと伝えられているが、同じ頃千畳敷台地に築かれた(←同じ頃?)落合山取手跡(千畳敷城跡)※町史での名称で光秀公が生まれた際に産湯として使ったとされる井戸が残っている。また、万ヶ洞にある天神神社は、光秀公が若かりし頃に京都嵯峨天竜寺の雲水・勝恵という学僧を招き、学問に精進したと伝わる。
他にもゆかりの地やものなどが豊富にあり、いずれも訪ねることが出来る。
(明智町に伝わる明智光秀公ゆかりの地)
・明智光秀公産湯の井戸
・明智光秀公学問所と天神神社
・柿本人麻呂社と明智光秀公手植えの楓
・明知遠山氏の墓地にある如意輪観音菩薩像
・明智光秀公ゆかりの九条衣の袈裟
・明智光秀公供養塔
・於牧(おまき)の方※の墓所
※明智光秀公の御母堂