その他遺産
岩村藩の家老・佐藤信由(のぶより)の次男として、江戸浜町の下屋敷(現東京都中央区日本橋浜町)で生まれた。幕末から明治維新にかけて活躍した日本の指導者たちに多大な影響を与えた儒学者である。幼くして読書を好み、水練・射騎・刀槍などに優れ、小笠原流礼法を身に付けていた。 34歳で朱子学の宗家林家の塾長となり、林述斎(じゅっさい=岩村藩主・松平乗薀<のりもり>の三男)とコンビを組み、多くの門下生の指導に当たった。 83歳となった安政元年(1854)、日米和親条約締結に際し外交文書の作成などに尽力した。 門下生には、佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山などがいる。