有形遺産
【築城・存続】
16 世紀前葉~中葉か
【標高】
490m( 比高 20m)
【主な城主】
勝氏
【来歴】
『丹羽氏聞書』には「上手向村 勝次郎殿と申仁居被申候」とある。また、江戸時代初めの中山道大井宿の有力者勝義実は、元は「峠城主」で木曽義昌・松平忠吉に仕え、辞して大井宿に住したとされる(『長国寺祠堂帳』)。
天文20 年(1551)、東嶺智旺(定林寺(土岐市)住持)は、岩村大円寺に向かう途中で手向の「勝喜三良私宅」に一泊している(「明叔慶浚等諸僧法語雑録」)。
【城の概要】
小里川北岸の丘陵上に立地する二つの曲輪群からなる。この説明板のある曲輪群は「城ヶ峯」と呼ばれている。曲輪の規模は小さく、堀切なども不明瞭である。
もう一つの曲輪群は、ここから南東約100mの10m低い位置にあり「隠居峯」と呼ばれている。東西に並ぶ二つの曲輪からなり、東側の尾根続きは堀切と土塁で画されている。
※2023年3月に案内文更新。
※2021年度に案内看板設置、主郭までの道順がわかりやすくなりました。