有形遺産
恵那市南部では岩村城に次ぐ規模の城郭であり、明知遠山氏代々の居城であった。戦国時代末期に甲斐武田氏の侵攻を受けて遠山氏の手を離れるも、慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦後に復帰する。なお、明知遠山氏は江戸時代には旗本となり、明治維新となるまで統治が続いた。
城跡は現在公園となっており、石垣は見られないものの、多くの曲輪、堀切等が良好に残されている。
主要な曲輪の周囲に設けられた「畝状空堀群」と呼ばれる遺構が大きな特徴で、斜面に平行するように設けられた堀と、斜面に直行するように設けられた複数の堀を組み合わせられ、斜面伝いの敵兵侵入を防ぐ為に築かれた。