有形遺産
明智町中心部の龍護寺に、江戸幕府の旗本を務めた明知遠山氏累代の墓石が現存する。
恵那周辺の歴史によく登場する遠山氏は、平安時代から戦国時代にかけて本拠地を岩村城として現在の恵那市と周辺部を治めていた勢力である。明知遠山氏はその一派であり、鎌倉時代の初期に岩村遠山氏から分家して明知城に入って明智周辺を治めていた。戦国時代末期に甲斐武田氏の攻撃を受けて失領した後、30年足らずの間に城を取り戻したり再び失ったり…といった過程を3度繰り返すが、関ヶ原の合戦前後の戦功で戦後に旧領回復を成し遂げ、江戸幕府成立以降は旗本格となるに至った。5代目以降は江戸常駐となり、ペリー来航時に浦賀奉行を務めていた12代景高その他の著名人を輩出しながら江戸時代を生き抜き、現代に続いている。