有形遺産
【築城・存続】
16世紀中葉~後葉
【標高】
538m( 比高 25m)
【主な城主】
遠山左京進
【来歴】
ある年「東美濃久保原城主遠山左京進」が高野山に母親の位牌を納めている(「遠山御氏御先牌写」『(明知陣屋)御役所日記』所収)。江戸末期の伝承では、左京進は永禄年中の人で「中西の城」に在城し、納牌は元亀3年(1572)のこととする(享和3年(1803)4月庄郷改め書上一札『山岡町史史料編上』)。
【城の概要】
南に向かって下る尾根の先端に、長辺70m・短辺20mの細長い曲輪を設け、背後の山地に続く北側は土塁と堀切によって画している。
山麓の西から南には三郷町方面から岩村・山岡町東部へ向かう里道(現在の国道418 号)が通っている。
この道は岩村城と神篦城を最短距離で結んでいる。中西城跡は元亀天正の争乱で陣城として機能した可能性もある。
※2022年3月案内文更新
※2021年度に案内看板設置、主郭までの道順がわかりやすくなりました。